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木造阿弥陀如来坐像

ページ番号:773-075-639

最終更新日:2018年4月11日

木造阿弥陀如来坐像

指定情報

指定

《市指定 第44号》 平成9年3月1日

所在地 鯖江市日の出町 本山誠照寺別院上野別堂
管理者 真宗誠照寺派本山誠照寺 
時代 平安時代後期
員数 1躯

概要

 上野(うわの)別堂は、「車の道場」と号し、親鸞上人(1173~1262)の開創といわれる。この阿弥陀如来像は上野別堂の本尊であり、越後配流(1207)のとき、京から親鸞自らが背負ってきた、「親鸞上人背負いの阿弥陀」と伝えられる。
 像高53.6センチメートル、桧の一木造で、黒漆塗りである。頭体の根幹部は右肘と左腕の一部を含んで一材から彫り出し、内()りは施さない。右手は肘と手首を()ぎ付け、左手は肘から先を両脚部材から彫り出し、手首を矧ぎ付ける。両脚部には内刳りがあるが、裳先(もさき)を含む底板が像底全体を覆っている。螺髪(らほつ)は表さず、額の白毫(びゃくごう)は水晶をはめ込む。納衣(のうえ)は左肩を覆い、右肩に少しかかる。両手とも第一・二指を付ける来迎印を結び、右足を上にして結跏趺坐(けっかふざ)する。白毫・右ひじから先・左手首・裳先を含む底板・表面の黒漆塗りは、後補である。また、頭体部の各所に削り直しや、表面補修が見られる。
 浄土教信仰の高揚に伴い、11世紀後半以降に数多く作られるようになった来迎印の阿弥陀如来坐像の一例である。一木造で内刳りのない構造は古い様式だが、その丸い顔や柔らかな衣文などの穏和な作風から、12世紀前半頃の制作と推定される。なお、螺髪や背面の彫りは省略されている。鯖江市で、平安時代後期に溯る古像は数少なく貴重であり、その歴史的意義は高い。

コラム 親鸞

 浄土真宗の開祖。親鸞は妻帯をおおやけにした僧であり、「非僧非俗」の生き方を信条とした。親鸞の教えは、出家して仏道に励む従来の信仰とは異なり、日常の生活を営む中で念仏の道に帰依するという在家の仏教である。また、それまでの浄土信仰が死後の極楽往生を願うのに対し、阿弥陀如来に感謝することで現世において救われるという、画期的な思想が打ち出されている。信心をおこし、念仏すればただちに往生が約束され、煩悩の深い人間(悪人)こそが阿弥陀仏の救おうとする相手であると説いた。

※一般公開はしていません

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