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木造不動明王坐像

ページ番号:486-490-216

最終更新日:2018年1月11日

指定情報

指定

《市指定 第36号》 平成7年3月30日

所在地 鯖江市大正寺町 白山神社
管理者 大正寺町
時代 平安時代後期
員数 1躯

概要

 大正寺(だいしょうじ)は、もと当地にあった寺の名で、織田信長(1534~82)の侵攻の時に焼かれたと伝えられている。白山神社には、本像を含め数体の木像の残欠がある。燃え残ったらしくところどころ炭化しているものもあり、痛々しい印象を受ける。
 この不動明王像も、両手・背面・下半身が失われている。像高は139.0cm、(けやき)の一木造である。頭体幹部は一材から彫り出され、後頭部から背刳(せぐ)りを施す。弁髪(べんぱつ)を左肩に垂らす。両肩より先は欠失しているが、元は右手に剣を構え、左手に羂索(けんさく)をさげていたと思われる。羂索とは、五色(青・黄・赤・白・黒)の縄の先に環のついた投げ縄状の仏具(本来は狩猟で使用される罠)。仏像がもつ羂索は慈悲の索ともいわれ、一切衆生(しゅじょう)を漏れることなく救済するという。下半身欠失のため、立像か坐像かは不明であるが、その形状より坐像と推定される。
 表情は、左目をすがめ、右目を怒らせてみはり、歯牙をむく忿怒(ふんぬ)の形相を簡潔に表し、堂々たる趣がある。彫りは浅く、顔や体部の肉付けも柔らかく締まっていることから、制作は12世紀頃と推定される。おそらくこの像は坐像で、足を組み膝が付いていたと考えられ、足を接続する部分が丸くなっているのは珍しく、古い形式のものである。平安時代、これだけ大きな不動明王像は越前ではまずなく、ユーモラスな顔をした優れた仏像である。また、このように立派な不動明王像が残されているということから、この地域の文化の古さを十分にうかがうことができる。

コラム 不動明王

 衆生の教化のため、忿怒(ふんぬ)の姿に変身した大日如来の化身。鎌倉時代になると、こわいイメージの不動明王を泣かせてみようとする試みも行われ、忿怒の目から涙を流す姿が絵画に描かれるようになった。

※一般公開はしていません

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