木造聖観音菩薩立像
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最終更新日:2018年1月11日
指定情報
指定 | 《市指定 第38号》 平成7年3月30日 |
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所在地 | 鯖江市長泉寺町1丁目 まなべの館 |
管理者 | 鯖江市 |
時代 | 平安時代後期 |
員数 | 1躯 |
概要
元は三峯の白山神社のものであったが、刀那神社に納められ、現在は鯖江市まなべの館にて保管している。この仏像には、燃えて炭化した箇所があることから、『朝倉始末記』に天正2年(1574)に起きた一向一揆で焼失したとして記録される「河嶋の観音、三嶺の観音」の一部である可能性が高い。
像高102.8cm、桂の一木造で、素地をそのまま生かして木目をあらわにする。頭体幹部は一材から彫り出し、これに、左肩から肘までの外側部分および肘から先・右肘から先・両足先を
顔はやや面長で前に突き出し、眉と眼は簡素に刻み、伏し目でまぶたは重く、頬は下ぶくれである。胸の起伏は乏しいが、腹部は丸く前に突き出ており、下半身の量感は乏しい。表情がやや沈み表現も古風にみえるが、全体の彫りが浅いことからおそらく平安時代後期の製作と考えられる。また、この仏像は神として作られた本地仏と考えられ、越前には本地仏が多いが、その一例としてあげてもよいものである。さらに、南北朝時代まで遡る歴史を持った場所にあり、ところどころに焼けた箇所が見られることから、歴史を物語る仏像としても貴重である。
コラム 一向一揆
15世紀後半、教団の組織力を強めた一向宗(浄土真宗)門徒は、領国支配の強化をはかる大名権力と対立し、各地で一揆をおこした。「進まば往生極楽、退かば無間地獄」のスローガンを掲げた門徒達は、「仏法領」を護持するため、侵攻を続ける戦国大名に長きにわたって抗い続けた。
加賀の一向一揆では、門徒が約一世紀にもわたって一国を支配し、加賀は「百姓の持ちたる国」と称された。
※地図の地点は旧安置場所です
※鯖江市まなべの館では常時公開はしていません
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