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禿 すみ(1876-1950)

ページ番号:378-834-317

最終更新日:2017年3月24日

女子教育の先駆者

 禿すみは明治9年(1876)2月、五郎丸の浄覚寺の住職禿了教の長女として誕生しました。父の了教は幼少のころから向学の志が強く、また信仰の厚い人でした。母政尾も信仰の深い人で、子供たちが小学校に入る前に経典(お経)を教えたと伝えられています。父了教は、家業の農業を弟に譲り外祖父にあたる浄覚寺住職禿了法の養子となり僧籍に入った人です。向学心の強い了教は明治17年には京都の勧学院に学び、さらに東京の英学館塾に入り、語学を修得しました。海外事情にも深に関心を示し、インドや欧州にも視察に赴き、ここで情操教育、特に家庭教育、子女を育成する婦人教育の必要性を痛感しました。仁愛学園を創設したのはこの了教です。
すみはその父の影響を強く受け、学問を好み、深い信仰心と強い意志の持ち主として成長しました。

学びの青春時代

 すみが13歳のとき、父が外国へ行くために東京で勉強することになりました。すみは父の上京のことを知ると家族の留守中に自ら髪を切って男子のようになり、「学問をしたい」としきりに頼み込みました。その情熱が認められ、すみは父と共に上京し、成立学舎女子部に入学しました。成立学舎では大変な苦労をしますが、15歳で卒業、直ちに鯖江へ帰郷し、本山誠照寺で宗教学を学んでいます。18歳になると今度は京都の同志社大学女子部に入学し、まさに勉学一筋の青春時代を過ごしました。
 外国の視察を終えて帰国した父から聞くいろいろな話は、すみの心を大きく揺り動かしました。外国の豊かな生活の基本は家庭であり、母であることを強く教えられたのです。そして、すみは自分の目標を「女子教育」と決めたようです。そして明治29年(1896)に同志社大学女子部を卒業した後、鯖江に帰郷すると父と共に「日本道徳会」を設立し、会誌を出したり、講演のため各地を巡回しています。しかし、これだけでは十分な女子教育はできないことを悟ったすみは、明治31年4月、福井市毛矢町に「婦人仁愛会教園」を設立し、本格的な教育活動に入っていきます。すみはこの日から学校に住み込み、教育に情熱を注ぐことになりました。同33年になると、福井市宝永上町に敷地を求め「仁愛女学館」と改称し、ここにその基盤が築きあがりました。この頃の生徒はわずか6名で、江戸時代の「寺子屋」よりもその数が少なかったようです。そして、それを教える先生も6名で授業は1週間に29時間、授業料は1ヶ月に20銭と定められていました。すみはここで、修就(道徳)と読書(国語)を教え、希望者には英語も教えていました。そのほかすみは学園にまつわるすべてのことを担当しなければならなかったので、当時22才のすみには大変な負担になったものと考えられます。

福井仁愛高等女学校設立

 しかし、了教とすみが行った「宗教的情操豊かな婦人の育成にこそ社会の発展と福祉の基礎がある」という理念が受け入れられ、また、すみの人柄を慕って各地から入学する者が数を増してきました。遠方の者の中には学校に寄宿するものもあり、次第に校舎や寄宿舎なども充実してきました。大正10年(1921)には福井育児院を始めると共に福井仁愛高等女学校と改称し、すみは校長に就任し、女子教育に全力を注ぐことになりました。
 学校の経営はなかなか容易なことではありませんでした。昭和20年(1945)に戦災で校舎を消失し、ようやく仮校舎を新築すると、今度は同23年6月の福井地震によって、その仮校舎が倒壊するという災難にも遭いました。しかし、その度にすみの人柄を慕う人々や、多くの卒業生の善意に支えられ、度重なる災難を乗り越え、次々と校舎を建設し、教育環境の整備を進め、学校は見事に復興していきました。そしてすみのはじめた学園は「女子教育のメッカ」として大きく花開いていったのです。

女子教育の発展とともに

 昭和25年(1950)5月、すみは74才の長寿をもって没しました。まさに女子教育一筋の生涯でした。
 さて、すみに関しては次のような話が伝わっています。昭和19年に永い間、教育に功績があったという理由で藍綬褒章(らんじゅほうしょう)を受けました。すみは非常に感激しましたが、「自分だけの力によってこの章を受けたものではない。多数の協力者に対してくださったもの」といって生前は一度もこれを身につけず、記念写真すら撮影しなかったとのことです。これは、すみの控えめな性格を物語る逸話として今日でも語り継がれています。
 このように、父と二人三脚で青春時代から勉強と女子教育一筋に努力し、そして指導者として尽力した姿は高く評価されるべき人と思われます。
 なお、「すみ」という名前ですが、すみの本名は「真子」ですが、仏の慈悲のシンボルである「須弥山」にあやかって「須弥(すみ)」とも書いたり、また、「すみ」というのを好んで使用していたとのことです。

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