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西野 利兵衛(1569-1626)

ページ番号:974-270-521

最終更新日:2017年3月24日

千人掘用水を創始

 西野利兵衛は、江戸時代の初め頃、水不足に悩む西大井村と川去村のために私財を投げ出し、「千人堀用水」と呼ばれた農業用水の掘削を始めた人物です。
 利兵衛は永禄12年(1569)に西大井村で生まれました。利兵衛が成人した頃は江戸時代初期で、当時の西大井村と川去村の農業用水は、和田川と九ヶ用水(熊田・平井・二丁掛・冬島・吉田・下大倉・小泉・田・持明寺の九ヶ村の用水)を使っていました。しかし、両村は最も川下に位置していたため、各村々が使用した後の残った水を使うほかなく、いつも水不足に悩まされ、村同士の紛争となることも頻繁にありました。そこで利兵衛は、日野川から直接水を引く計画を立てます。近くの山の上に登って水路の位置を予想したり、夜間、松明を立てて土地の高低を測りました。こうした現地調査を約20年近く続けた結果、日野川の支流である吉野瀬川から水を引けることが分かったのです。
 利兵衛は代官所に用水掘削の許可を求めましたが、なかなか許可が得られなかったため、慶長10年(1605)、利兵衛は江戸に上って幕府に直訴しました。当時、農民や町民が大名や幕府に直接願い出ることは厳罰の対象となっていたため、まさに命がけの行為だったのです。その甲斐あって、間も無く幕府から「西大井・下川去両村のため、新しく用水路を掘って日野川から引水し、吉野瀬川に落とし込んで、両村へ1ケ月に5昼夜引水してもよい」という許可が下りたのです。利兵衛37歳の頃でした。
 幕府からの許可が下りると、利兵衛は工事の先頭に立って働きました。用水を完成させるまでに約1,000人が働き、20年という長い時間がかかりました。こうして西大井・下川去両村では水の心配はなくなり、水争いもなくなりました。利兵衛が用紙掘削を思いついてから実に40年近い年月が経過したことになります。
 現在、西大井町・川去町両区の境には「用水元祖之碑」が建立され、毎年7月7日には区民による用水まつりが行われ、利兵衛の遺徳に感謝しています。

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