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近松 門左衛門(1653-1724)

ページ番号:707-257-262

最終更新日:2017年3月24日

東洋のシェークスピア

近松門左衛門

 元禄の三大文豪として有名な近松門左衛門(幼名「次郎吉」、後に「杉森信盛(のぶもり)」)の父は杉森信義(のぶよし)といい、第3代福井藩主松平忠昌(ただまさ)に仕える武士でした。しかし、忠昌の死後、庶子である昌親(まさちか)に2万5千石が分知されて吉江藩が成立(正保2年(1645))すると、以後は吉江藩主松平昌親に仕えました。
 幼少期を吉江の地で過ごし、豊な自然のもと文学に親しむ少年に成長した門左衛門でしたが、父が浪人したことを機に上京し、一条恵観らに仕えました。その後、浄瑠璃作家の竹本義太夫や歌舞伎役者の坂田藤十郎らと連携して「国姓爺合戦(こくせんやかっせん)」「冥途(めいど)飛脚(ひきゃく)」「曾根崎心中(そねざきしんじゅう)」など多くの歌舞伎や浄瑠璃の傑作を生みだしました。
 近代小説の指導者であり、文芸協会の設立やシェークスピア作品の翻訳などを手掛けた坪内(つぼうち)逍遥(しょうよう)は、近松門左衛門を「東洋のシェークスピア」と評しています。

鯖江生誕説

 これまでの研究では、近松は承応(じょうおう)2年(1653)の生まれであり、松平昌親が吉江に入封したのが明暦(めいれき)元年(1655)であることから、近松門左衛門は福井で生まれ、鯖江(吉江)で育ったと考えられていました。ところが、近年の研究により、吉江藩の家臣団が藩主昌親入封以前から吉江に移住し、城下町の建設に当たっていたとみられることから、近松は吉江で生まれた可能性が明らかとなってきました。
 詳細は今後の研究に委ねられていますが、鯖江市は「近松が生まれ育ったまち」として情報発信していきます。

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