指定 |
《市指定 第22号》 昭和55年9月16日 |
所在地 |
鯖江市神明町4丁目 長久寺 |
管理者 |
天台真盛宗二康山長久寺 |
時代 |
江戸時代前期 |
員数 |
1基 |
本堂の向かって右側にある笏谷石(凝灰岩)製の宝篋印塔である。2段の基壇上に反花座を据え、この上に基礎・蓮座・塔身・笠・相輪が載るもので、総高264cm、相輪高57cm、笠高35cm、塔身高43cmの規模である。宝篋印塔は笠の上部が数段の段形となり、四隅に隅飾があるのが特徴で、もともと『宝篋印心咒経』を納めるための石塔であったが、後に塔形の名称ともなった。
この宝篋印塔は、当時、原野であった鳥羽野開拓に尽力した福井藩第2代藩主松平忠直(1595~1650)を慕い、土地の人たちがその恩恵を忘れないため建立したとされる。建立後300年以上を経た現在もなお、ほぼ原形をとどめており、領民が領主を慕って浄財により建立したという特異性、領民の手により護り続けられ、完全な姿を呈している墓の形状など貴重である。塔身には四面に梵字で金剛界四仏(大日如来を囲む四方の仏)、東に阿しゅく如来(ウン)、南に宝生如来(タラーク)、西に阿弥陀如来(キリーク)、北に不空成就如来(アク)が刻まれている。龕部には法華経の廻向文(願以此功徳 普及於一切 我等與衆生 皆供成佛道)を陰刻している。
福井藩初代藩主結城秀康の子で、徳川家康の孫にあたる。菊池寛の小説『忠直卿行状記』では暴君として描かれているが、鳥羽野の開拓などに示されるように名君であったと再評価されている。