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鯖江藩受福堂御門

ページ番号:779-852-522

最終更新日:2020年11月25日

鯖江藩受福堂御門

指定情報

指定

《市指定 第24号》 昭和63年6月28日

所在地 鯖江市旭町1丁目 松阜(まつがおか)神社
管理者 松阜神社
時代 江戸時代後期
員数 1棟

概要

 鯖江藩庁内(現在の屋形町)にあった受福堂は、鯖江藩第4代藩主間部(まなべ)詮茂(あきとお)(1739~86)が間部家の祖詮房(あきふさ)(1666~1720)を祀るために天明4年(1784)に建てられた御堂である。明治維新により鯖江藩が廃藩となったのに伴い、明治4年(1871)に間部氏の菩提寺である萬慶寺(ばんけいじ)に移転された。その後、明治15年に鯖江藩別邸松阜仙窟(まつがおかせんくつ)跡に松阜社が建設されたことに伴い、明治16年に現在地に移転されたものである。
 受福堂そのものは数度の修復が行われているが、門は度重なる移転に耐え、ほぼ当時の原形を保っている。構造は、一間一戸の薬医門形式で、本柱の後ろにある控柱で支えられた屋根を前方に持ち出したもので、側面から見ると左右非対称の形状となっている。軒は一軒(ひとのき)(まばら)垂木(だるき)で、桟瓦葺(さんがわらぶき)の屋根を支えている。規模は、棟高4.1m、本柱間2.25m、本柱と控柱間1.4mである。
 現在、市内において鯖江藩の歴史を物語る建物は少なく、この受福堂御門も後世に伝えるべき貴重な建造物である。

コラム 詮房夫妻の木像

 受福堂には間部詮房夫妻の木製の坐像が安置されているが、実は詮房は生涯妻帯しなかったとされている。一説によると、享保5年(1720)、詮房が越後村上城で病没したときに、末期の水をとった女性がいて、名をおきよといい、後に尼になったという。この女性が詮房の「妻」とされているようで、受福堂に伝わる木像も尼僧の姿をしている。

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