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王山古墳群

ページ番号:392-274-073

最終更新日:2023年7月20日

指定情報

指定 《国指定》 昭和42年6月22日
所在地 鯖江市日の出町
管理者

鯖江市

時代 弥生時代中期~古墳時代中期

員数

54基

概要

 王山(おうざん)古墳群は鯖江台地南端の独立丘陵「王山」に分布し、弥生時代(1世紀)~古墳時代中期(5世紀)に築造された現在総数54基の墳墓・古墳が確認されている。昭和40年に1~7・9・25・31・32号の11基が発掘調査され、弥生~古墳時代の墓制の変遷を知る上で貴重な資料を提供した。
 丘陵の尾根筋には方形の墳墓が並んでおり、このうち1・3・4・7号墓は墳丘墓(ふんきゅうぼ)(方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ))と呼ばれる弥生時代後期(3世紀)の墳墓である。いずれも一辺が8~12m、高さ1~2m前後の規模を有し、副葬品は出土していない。3号墓の周溝からは東海や近江地方の影響を受けた土器が出土しており、それらの地域との歴史的交流を物語っている。また、5・6・9・25号墓は古墳時代前期(4世紀)の方墳(ほうふん)で、規模は弥生時代の墳丘墓と大差ないが、5号墳から鉄刀(てっとう)、6号墳から鉄剣(てっけん)が副葬品として出土している。
 一方、丘陵の斜面には古墳時代の円墳が認められる。31号墳は古墳時代前期のもので、直径20m、高さ2mの規模を有し、割竹形木棺(わりたけがたもっかん)から鉄剣・鉄鏃(てつぞく)・鎌・鍬先・臼玉が出土している。32号墳は古墳時代中期(5世紀)のもので、直径8m前後、割竹形木棺に鉄剣・鉄鏃・刀子(とうす)(やりがんな)が副葬されていた。

コラム 激動の2~3世紀

 王山に墳墓が造られた頃は、ムラからクニへ、地域が統合されて行く激動の時代であった。
 中国の歴史書『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』には「倭国(日本)で大きな戦乱があり、邪馬台国(やまたいこく)を中心に30余りのクニにまとまった」と書かれている。

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