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三峯寺(村)跡並びに出土遺物

ページ番号:130-847-073

最終更新日:2017年3月26日

指定情報

指定

《市指定 第96号》 平成22年2月10日

所在地 鯖江市まなべの館・鯖江市上戸口町
管理者 鯖江市・上戸口町
時代

寺跡:奈良~室町時代 村跡:室町時代~昭和

員数 180点

概要

 三峯寺の活動実態については不明であるが、白山信仰と密接な関係にあった密教系の寺院である。『東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)』のうち文安2年(1445)の「東寺修造料足越前国寺々奉加人数注進状」により、当時越前では中堅クラスの寺院であったことが推定されている。
 三峯村は、三峯寺が廃絶した跡に誕生した村である。昭和12年(1937)に無住村となり、昭和30年(1955)に鯖江市への合併に伴って上戸口町に編入された。 三峯寺(村)跡は、標高400mの城山(しろやま)山頂(三峯城跡)から文殊山(もんじゅさん)へと至る標高約300mの山腹に立地している。約50ヶ所余りの平坦部から成っており、「坊屋敷」という寺の存在を裏付ける地字名も残っている。
 近年の発掘調査によって、礎石建物跡や門跡などの伽藍(がらん)遺構が確認された。また、奈良時代中期から平安時代前期にかけての須恵器・土師器(坏・鉢・甕など)の生活雑器をはじめ、仏具である須恵器製鉄鉢(てっぱち)、鍛冶関連遺物であるフイゴの羽口、そのほか赤彩(せきさい)碗や緑釉(りょくゆう)陶器、灯明皿などが出土した。これにより、三峯寺は奈良時代にまでさかのぼる古代寺院であり、北陸の山中寺院の中でも最も早い時期に成立したことが確認された。
 また、中世の土師器皿、越前(壺・すり鉢・甕など)、瀬戸美濃(碗・鉢・花瓶など)、青磁碗などが出土していることから、中世においても活動していたことがわかる。三峯寺の廃絶期は、出土遺物や三峯村墓地跡の造塔活動から、天正2年(1574)の越前一向一揆頃と推定される。

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