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鯖江藩家老植田家長屋門

ページ番号:265-589-384

最終更新日:2017年5月12日

鯖江藩家老植田家長屋門

指定情報

指定

《市指定 第11号》 昭和49年9月24日

所在地 鯖江市旭町1丁目
管理者 個人
時代 江戸時代中期
員数 1棟

概要

 植田家は鯖江藩の家老職にあった家柄で、この長屋門は鯖江藩時代の面影を残す数少ない建造物のひとつである。
 鯖江藩は、越後村上藩主間部(まなべ)詮言(あきとき)(1690~1724)が越前鯖江に転封を命ぜられたことにより、享保5年(1720)に成立した。城下町は、西鯖江村にあった幕府の代官所跡を藩邸とし、新町・古町・寺町などの町屋敷、西家中・中家中・裏家中などの武家屋敷をおいて形成されていた。長屋門のある旭町1丁目は、裏家中東側に相当する。
 当時、上級武士の家屋には表門を付けることが許されており、敷地の周囲をめぐらす長屋の一部を門としたところから、これを一般に「長屋門」と呼んだ。これらは武家の持高によって、梁間の長さや番所の有無・形式・規模などについての細かな格付けがあった。植田家長屋門の規模は桁行13.5間、梁間2間で、現状は平屋建(ひらやだて)瓦葺(かわらぶき)である。文献によると、建築は享保16年(1731)頃の建築と推定され、茅葺で、桁行10間、梁間2間の長屋1棟と2間×2間の(うまや)があり、その間に木の門があったという。その後、数回改造されており、慶応元年(1865)の「新規御門建替仕様書」によれば、この時に屋根を茅葺から瓦葺に改めたことが分かる。 明治21年(1888)頃に門の部分を改造、東に居間等を付設して現在の外観となった。

コラム 間部詮房

 間部家初代の間部詮房(あきふさ)(1666~1720年)は、6代将軍家宣(いえのぶ)側用人(そばようにん)として仕え、新井(あらい)白石(はくせき)とともに生類憐みの令の廃止、裁判の迅速公正化、日朝外交の刷新等の文治政治を行った。世にいう「正徳の治」である。鯖江藩初代藩主の詮言は詮房の養嗣子である。

※内部公開はしていません

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