このページの先頭ですサイトメニューここから
このページの本文へ移動




サイトメニューここまで
本文ここから

絹本著色教如上人像

ページ番号:448-290-612

最終更新日:2019年1月17日

指定情報

指定 《市指定》 平成12年3月1日
所在地 鯖江市和田町 仰明寺
管理者 真宗大谷派灌頂山仰明寺
時代 江戸時代 慶長8年(1603)
員数 1幅

概要

 小紋高麗縁の上畳に、左斜めを向いて坐す教如(きょうにょ)。黒衣墨袈裟を着け、右手を上にして両手で数珠を持つ姿は当寺が有する「蓮如上人像」とほぼ同様で、本像が蓮如像などの先例を参考にして制作されたことを窺わせる。頭上には『教行信証』「化身土巻」より「樹心弘誓仏地」以下4行を、画面向かって右端中央に「教如」の墨書が認められ、いずれも教如自身の筆になると考えられる。そして、本図は慶長8年(1603)に本願寺の教如より当寺の良意に下付された寿像であることも裏書により知られる。
 慶長8年の前年に本願寺は東西に分立しており、教如は東本願寺の第12世(初代)となって教団の確立に努めていた時期でもある。 本図下付の経緯を考えるうえでも興味深く、かつ県内ではほとんど確認されていなかった教如裏書を持つ教如象として本図の価値は非常に大きいものといえる。

コラム 教如

 本願寺第12代法主、教如(1558~1614)は、織田信長との11年間にもおよぶ石山合戦を指揮した顕如(けんにょ)の息子である。天正8年(1580)、勅旨による和睦成立後も、教如は石山本願寺に籠城。これがきっかけで紀伊に退却した顕如に義絶され、後の本願寺分裂へと発展する。教如は顕如の死後いったん本願寺を継ぐが、豊臣秀吉の命によって隠居。異母弟の准如(じゅんにょ)が本願寺を継ぐと、徳川家康の助力を得て京六条烏丸に寺地を確保し、東本願寺(浄土真宗大谷派)の初代となる。

※一般公開はしていません

本ページの無断転用・転載を禁じます

お問い合わせ

このページは、文化課が担当しています。

〒916-0024 鯖江市長泉寺町1丁目9番20号

文化振興グループ
TEL:0778-53-2257
FAX:0778-54-7123
文化財グループ
TEL:0778-51-5999
FAX:0778-54-7123

このページの担当にお問い合わせをする。

情報がみつからないときは

サブナビゲーションここまで

鯖江市章
〒916-8666 福井県鯖江市西山町13番1号
TEL:0778-51-2200(代表)
FAX:0778-51-8161
  • 鯖江市の花・木・鳥
    つつじ・さくら・おしどり
  • 人口と世帯
  • 鯖江市の動物レッサーパンダ
    メガメガ・ウルウル
トップへ戻る
Copyright (c) Sabae City. All Rights Reserved.
このページのトップに戻る