このページの先頭ですサイトメニューここから
このページの本文へ移動




サイトメニューここまで
本文ここから

絹本著色方便法身尊形像

ページ番号:582-370-878

最終更新日:2022年12月2日

指定情報

指定

《市指定》 平成10年3月31日

所在地 鯖江市石田下町 専光寺
管理者 真宗大谷派光曜山専光寺
時代 室町時代
員数 1幅

概要

 室町時代の僧で浄土真宗本願寺第7世、存如(ぞんにょ)(1396~1457)が、信者である門徒に下げ渡したものである。裏書きによると、この像は宝徳3年1451)、越前の大坊和田本覚寺の門流で福井の商人、橘家に下された。なお、近世の地誌『越前国(えちぜんのくに)名蹟考(めいせきこう)』では、真宗の開祖、親鸞(しんらん)(1173~1262)自筆の弥陀と記している。
 大きさは縦71.8cm、横32.1cmである。画面中央に、蓮台に立つ阿弥陀如来が描かれ、その両手は来迎印を結ぶ。背景の虚空(こくう)には群青を塗り、如来は金泥を塗ってその上に切金をおく。衣の文様は、麻の葉つなぎや卍くずしなどを、切金で表現している。背中の光明は18本で、金泥を塗って縁に切金をおく。なお、裏面には次のように記されている。「方便法身尊像 宝徳三年未辛六月廿八日本願寺釈存如(花押)」、別筆で「越前国和田本願寺門流木田庄内 橘屋了善坊安置之御本尊也 宝徳三年十月廿九日□□(花押)」。
 室町時代中期から真宗教団では、放光が描かれた阿弥陀如来像を方便法身尊像と称し、主に在地の門徒集団の要請でこれを下げ渡した。このような尊像は蓮如(れんにょ)期以降に急増するが、存如が下付したものは全国的にも少なく、越前に伝わる遺品としては最古のものである。一般に、方便法身尊像は四十八筋の光を全身に放つが、本像は上半身十八筋のみであり、このような像は「光明半身の尊像」と呼ばれ、来迎像の名残を強く残すといわれる。

コラム 蓮如

 浄土真宗中興の祖といわれる本願寺第8世、蓮如(1415~99年)は存如の息子である。蓮如が越前・吉崎に道場を開き、北陸一帯に布教を行ったのは有名である。父の存如も、越前石田西光寺・加賀光徳寺などを拠点に強力な伝道活動を展開した。

※一般公開はしていません

本ページの無断転用・転載を禁じます

お問い合わせ

このページは、文化課が担当しています。

〒916-0024 鯖江市長泉寺町1丁目9番20号

文化振興グループ
TEL:0778-53-2257
FAX:0778-54-7123
文化財グループ
TEL:0778-51-5999
FAX:0778-54-7123

このページの担当にお問い合わせをする。

情報がみつからないときは

サブナビゲーションここまで

鯖江市章
〒916-8666 福井県鯖江市西山町13番1号
TEL:0778-51-2200(代表)
FAX:0778-51-8161
  • 鯖江市の花・木・鳥
    つつじ・さくら・おしどり
  • 人口と世帯
  • 鯖江市の動物レッサーパンダ
    メガメガ・ウルウル
トップへ戻る
Copyright (c) Sabae City. All Rights Reserved.
このページのトップに戻る