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二十四孝図屏風

ページ番号:454-725-187

最終更新日:2018年4月19日

指定情報

指定

《市指定 第57号》 平成10年11月2日

所在地 鯖江市和田町 仰明寺
管理者 真宗大谷派灌頂山仰明寺
時代 江戸時代前期
員数 1双

概要

 仰明寺(ごうみょうじ)は、泰澄大師の創建と伝えられ、「真言宗宝瓶院」と号した。寛正5年(1464)、浄土真宗に改宗し、寺号を「潅頂山仰明寺」と改めた。江戸時代には福井藩主松平家の準菩提寺(12ヶ寺あったという)となり、江戸時代末期、松平春嶽よりこの屏風を譲られたと伝わる。
 この屏風は、紙本著色で6曲1双、各隻ともに縦66.1cm、横253.2cmの大きさである。図柄は、中国の古今の孝子二十四人の故事を描いたもので、各隻に十二の故事を描いている。二十四孝図は漢画の故事人物画の画題のひとつで、元時代の(かく)居敬(きょけい)の撰になる『二十四孝行録』に基づく。日本では儒教の道徳に基づいた勧戒画の一画題として近世に入って盛んに描かれ、本図もそのような作例の一つである。図様は先行作例に倣い、それぞれの場景を的確に描き出している。
 一方、本図の人物表現、特に面貌描写には、江戸初期に活躍した福井ゆかりの絵師岩佐又兵衛(1578~1650)の様式が看取され、本図は又兵衛の影響を受けて制作されているといえる。しかし、又兵衛画と比較するとき、本図のそれは全体的に希薄化、形式化が顕著といえ、制作年代は17世紀末頃と思われる。また本図とほぼ同一筆者とみられる作品が数点現存しており、しかもその内の1点は近年まで石川県に伝来していたことから、あるいは本図の筆者が又兵衛没後の福井の岩佐派絵師の手になるとも考えられ、未だ不明な部分が多い岩佐派の実体を知る上で興味深い作品である。

コラム 二十四人の孝子

 70歳で幼児を演じ父母を慰めた老莱子(ろうらいし)、肌で氷を解き鯉を献じた王祥(おうしょう)、父の葬儀のために身を売り天女に助けられた董永(とうえい)、ほか虞舜(ぐしゅん)漢文帝(かんぶんてい)曽参(そうさん)閔損(びんそん)仲田(ちゅうでん)・たん(おおざと+炎)()江革(こうかく)陸績(りくせき)唐夫人(とうふじん)呉猛(ごもう)郭巨(かくきょ)楊香(ようこう)朱寿昌(しゅじゅしょう)・ゆ(まだれ+臾)黔婁(けんる)蔡順(さいじゅん)黄香(こうこう)姜子(きょうし)王褒(おうほう)丁蘭(ていらん)孟宗(もうそう)黄庭堅(おうていけん)が挙げられている。

※一般公開はしていません

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