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萬慶寺本堂天井絵

ページ番号:770-586-287

最終更新日:2018年4月18日

指定情報

指定

《市指定》 昭和55年9月16日

所在地 鯖江市深江町 萬慶寺
管理者 曹洞宗亨浄山(こうじょうざん)萬慶寺
時代 弘化3年(1846)
員数 3面

概要

 萬慶寺の天井絵は、鯖江藩第7代藩主間部(まなべ)詮勝(あきかつ)(1804~84)が藩主在任中に描いた作品で、間部家の菩提寺である同寺に寄付されたものである。
 天井張り付けの水墨画で、本紙には水墨画に適した竹紙が使われているが、これは当時、中国でしか作られていないものであった。大きさは、風神図が縦5.4m×横4.5m、龍神図が縦5.4m×横6.3m、雷神図が縦5.4m×横4.5mである。
 平成8年の修復の際、「御寄附 弘化三丙午年 五月中旬」の墨書が発見され、弘化3年(1846)に詮勝が萬慶寺に寄付したものと確認された。併せて、明治44年(1911)の墨書も見つかり、この年に大修繕したことも判明している。
 作者の詮勝は、藩政に携わるかたわら書画もたしなんだ。作風は豪胆で、絵画では唐・宋・元・明などの中国画を手本とし、山水・花鳥・人物などをよく描いた。萬慶寺には他にも、掛軸・屏風などの作品が多く残されている。この天井絵は抜群の構図で描かれた大作であり、詮勝の作品の中で最も優れたものの一つといえる。

コラム 間部詮勝

 鯖江藩の歴代藩主の中で特筆される人物である。文化元年(1804)に誕生し、同11年に家督を相続して鯖江藩主となった。幕政にも参与し、寺社奉行加役・大坂城代・京都所司代を歴任した後、天保11年(1840)に西の丸老中に、安政5年(1858)には老中として、水野(みずの)忠邦(ただくに)井伊(いい)直弼(なおすけ)らとともに幕政に関与した。西の丸老中の時、将軍より鯖江城の築城を許されたが、諸般の事情から実現しなかった。また、領民とともに楽しみたいと「嚮陽渓(きょうようけい)」(現在の西山公園)を拓き、藩主致仕後は「松堂(しょうどう)」と号した。

※一般公開はしていません

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