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間部詮勝の花押・落款

ページ番号:909-247-400

最終更新日:2019年12月24日

指定情報

指定 《市指定 第20号》 昭和50年8月25日
所在地 鯖江市まなべの館
管理者 個人
時代 江戸時代後期
員数 31点

概要

 花押(かおう)とは、自分の出した文書の証明として記した署名が、変化して模様化したものである。戦国時代末期から江戸時代にかけて形式化し、木判で押すものもあらわれ、江戸時代中期以降はほとんど用いられなくなった。また落款(らっかん)は、書画を書き上げて名前を記したり雅号の印を押したものである。
 鯖江藩第7代藩主、間部詮勝(あきかつ)(1804~84)が使用した花押(8点)と落款(23点)で、鯖江藩家老家に伝わったものである。
 詮勝は、大坂城代・京都所司代・老中を歴任して幕政に参与して幕末の難局にあたった一方で、書画もたしなみ、多くの作品を残している。鯖江市の文化財に指定されている「萬慶寺本堂天井絵」(鯖江市指定第23号)は、彼の代表的作品といえる。夫人の玉雪も書画にすぐれ、花鳥を中心に大和絵の流れをくむ柔らかい作品を残している。

コラム 鯖江藩の歴代藩主

(1)詮言(あきとき)/初代藩主だが、鯖江の地を踏むことなく死去した。
(2)詮方(あきみち)/16歳で家督を相続し、藩主として初めて鯖江に入府した。
(3)詮央(あきなか)/凶作と飢えに苦しむ人々に(ひえ)155石余りを下付した。
(4)詮茂(あきとお)/天明の飢饉のとき、飢えた人々に米や稗代200両を下付した。
(5)詮煕(あきひろ)/後の藩校創設の基礎をつくり、『越前鯖江志』を編纂させた。
(6)詮允(あきさね)/江戸城の外桜田門番を勤め、惜陰堂と進徳館の前身である学問所を創設した。
(7)詮勝(あきかつ)/名を松堂(しょうどう)と号し、嚮陽渓(きょうようけい) (現在の西山公園)を開拓した。
(8)詮実(あきざね)/読書、書画をたしなみ、『待月亭間筆』などの著書多数を残す。
(9)詮道(あきみち)/最後の藩主。新政府軍と旧幕府軍の戦い、戊辰戦争に参加した。

※常時公開はしていません

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