posted:2013.05.21
2013年、眼鏡の聖地‘鯖江’に新たなアイウェアブランドが生まれました。
その名も「studio skyrocket by tange」。手がけるのはメガネの可能性を信じ、鯖江で職人として腕を磨いてきた丹下貴礼氏。「自分でデザインし、自分で作る」というスタイルを貫き、たった一人で作り上げるメガネには職人としてのプライドと情熱が注がれています。県外から単身鯖江にやってきた丹下氏を突き動かした原動力は何か。今回のメガネザンマイでは、眼鏡の聖地に新たな産声をあげたブランド誕生秘話に迫ります。
メガネザンマイvol.66 「studio skyrocket by tange」 前編
※後編はコチラ
--オリジナルブランドの立ち上げおめでとうございます。県外から鯖江に来られて、眼鏡職人として修行された後に独立されたと伺ったのですが、メガネに興味をもったきっかけを教えてください。
studio skyrocketデザイナー兼職人 丹下貴礼氏小さい頃から眼鏡を掛けていて、ずっと量販店の物を使用していたのですが、大学生のときにちょっとこだわって新しい眼鏡に変えてみたんです。そうすると校内を歩いていたら、同級生の女の子から「眼鏡を変えて、雰囲気良くなったね」と言われて、その数日後にはまた別の子から「眼鏡いいじゃん」と言われて、「なんだ!この道具は!!」ってなったんです。興味を持ったのは、そんな他愛もない一言でした。
--確かにメガネを変えると印象が変わりますよね。
そうですね。そのとき「眼鏡は人からの見られ方を良くできる道具なんだ」と感じました。そのあたりから本格的にハマりだして、自分なりにメガネについて調べてみたり、休みの日にはメガネ好きの友人と名古屋のメガネ店巡りをしたりメガネ談義ばかりしてました。はたから見ると変な大学生でしたね。(笑)
--完全にメガネの虜になったのですね。大学卒業後の進路はどうされたのですか?
色々な眼鏡を見るうちに「いつか自分で眼鏡を作りたい」と思うようになり、キクチ眼鏡専門学校に入学することにしました。そこで大学4回生のときには、就職活動の代わりに学費を稼ぐために、長野の牧場で住み込みのバイトをしたのですが、そこがすごい所だったんですよ。ケータイの電波も入らないし、照明さえない場所で、肉体労働をして寝るだけの毎日。外部との連絡手段がないのでまるで仙人になったみたいな気分でした。(笑)
丹下氏はSSS級認定眼鏡士の資格をもつ。--すごい!そこまでしてメガネの道に進みたかったのですね。専門学校ではどんな勉強をされたのですか?
専門学校で学んだ2年間は面白かったです。主に目の構造とメガネの役割について学んだのですが、目の検査の方法や、「なぜ人間は光を感じ取り、識別できるか」など、どちらかというと医学的な観点からメガネと目の関係性について学ぶことができました。
--それは意外ですね。メガネのデザインや作り方を学んだのだと思っていました。
そういった授業もありましたが、基本的には医学的根拠に基づいた授業がメインで、身体とメガネの関係について学んだことが一番勉強になりましたね。メガネはあくまでも視力矯正器具なので、専門学校で学んだことは今も仕事に活かされることが多いです。
--専門学校を卒業されてからはどうされたのですか?
大学生の頃からメガネを自分でデザインして作りたいという気持ちが強かったので、卒業後は鯖江で職人の弟子入りをしたいと思いましたが、結局は東京のメガネ小売店に就職しました。いきなり職人になるより、まずは専門学校で学んだメガネ理論を実際の現場で活かし、販売の現場とユーザーの気持ちを理解したほうが後々ものづくりに絶対役に立つと思ったので。
--メガネ小売店ではどういうお仕事をされたのですか?
販売員時代のレンズ加工の経験が今も仕事に活きている。主にレンズの加工です。お客様に合ったレンズを加工しフレームにはめ込む作業なんですが、レンズ度数や、エッジャー(レンズを削る機械)の関係で、レンズがどの形まで作れるのか、フレームに入れるときのテンションの掛かり方はどうあるべきかなど、すごく勉強になりました。接客は正直得意ではなかったのですが、顧客目線で考えることの大事さも学ぶことができました。ただ、やっぱり鯖江でメガネを作りたいという気持ちが強くて、休日は自宅で糸ノコでメガネを削る日々。悶々としてましたね。結局その小売店は2年で退職し、念願だった鯖江に行くことを決意しました。
--ついに念願のメガネ職人としてのキャリアがスタートしたのですね。どちらで修行を積まれたのですか?
プラスチック枠の製造をしている老舗メーカーで6年間お世話になりました。たまたま求人広告で見つけて入社できたのですが、念願だった仕事に就けて嬉しかったですね。
--職人としてお仕事を始められてどういったことを感じましたか?
毎日必死でしたね。難易度の高い作業も多いですし、入社当初は早く一人前になりたいという気持ちと、なかなか技術が習得できないという葛藤がありましたが、同僚や上司に恵まれ、とても運が良かったと思っています。例えば作業工程について生意気にも「こうした方がいいじゃないか」と提案したことがあるのですが、伝統を重んじる業界なので、普通なら「何言ってるんだ、技術もない若造が!」と言われそうなことでも、自分の意見に対して、真摯に耳を傾けてくれるベテランの上司に出会えたり。それにすごくいい同期にも恵まれました。彼もメガネについて熱い思いを持っていて、よく2人でメガネ談義をしました。(笑)同年代で切磋琢磨できるライバルがいてよかったです。
--いい会社だったんですね。一方で短期間で多くの工程を習得するのは大変だったんじゃないですか?
そうですね。メガネは分業制なので全工程覚えるのは長い年月が掛かります。それでも自分は早く技術を覚えたかったので、新人の頃から上司に「他の工程もやらせてください」と積極的にアピールしてました。(笑) すると上司の計らいで、入社後1年ぐらいから仕事が終わってから会社の設備を使わせてもらえるようになったんです。ありがたかったですね。それからというもの毎晩一人工場に残って「あーでもない、こうでもない」と試行錯誤しながら少しずつ技術を覚えていきましたね。そういった環境がなければ独立できてなかったと思います。
--まさにメガネ漬けの毎日だったわけですね。
はい。毎日メガネのことばかり考えていましたし、生活もメガネ中心のライフスタイルでしたね。そういえば独立に向けお金を貯めるために片道1時間かけて自転車で会社に通う時期もありました。(笑)
県外から単身鯖江に移り住み、6年間メガネづくりのノウハウを学んだ丹下氏は2013年1月に独立、自身のブランドを立ち上げられました。後編は異色の経歴をもつ丹下氏が生み出すアイウェアブランド「studio skyrocket by tange」に迫ります。