鯖江メガネファクトリー

オプトデュオ
オプトデュオ

鯖江市を拠点にし、国内でも屈指のオリジナルブランド「spec espace (スペックエスパス)」を2001年に立ち上げた(有)オプトデュオ。鯖江市の河和田という地で、夫婦で会社を興されてから現在に至るまでを、3部構成でお届けします。
(有)オプト・デュオのホームページはこちら : http://www.optduo.co.jp/


新進気鋭の若手デザイナーの誕生

大学院で民俗学を学んでいたものの一転、実家の眼鏡企画会社に就職し、デザイナーとしてブランドを立ち上げることになった山岸誉氏(以下 誉)。その経緯に迫りました。


山岸誉 氏

-- 誉さんが、眼鏡業界に入られたきっかけを教えてください。

誉)僕が大学院の修士課程の時に、親父に海外の眼鏡見本市に連れて行ってもらい面白そうやなと、興味を持ったんですね。それと、ちょうどその頃、ファッション誌にメガネが載るようになって、そこに親父が携わっているメガネが載っていた事もあって、やってみたいなと思うようになりました。

-- その後、大学院の修士課程を卒業してから眼鏡業界に入られた?

誉)そうですね。卒業後、うちの仕事をしつつ、親父の知り合いだった大阪・南船場の眼鏡小売店「G.B. Gafas」に週末だけ販売員としてアルバイトをさせてもらってました。福井から毎週通ってましたね(笑)。当時は、コンセプトショップの全盛期で、その店でもボストンクラブさんの「JAPONISM」や金子眼鏡さんの「SPIVY」、999.9さんが飛ぶように売れていたんですね。それを見て、「いつかは、自分のオリジナルブランドを作りたい。」と思ってました。入社後、3年間は、OEMの製品のみを作っていたのですが、2001年にオリジナルブランド「spec espace(スペックエスパス)」を立ち上げました。

-- 「スペックエスパス」は、コンセプトが面白いのですが、このコンセプトも誉さんが作られたのですか?

誉)はい。1990年代のメガネは、生地が薄い全体的に小ぶりのデザインのセルフレームが多かったんですね。それで、顔を包み込むような、立体感のあるものが欲しいと思い、「スペックエスパス」というブランドを作ったんです。でも、最初は罵倒されましたね。「こんな分厚いメガネ売れるわけないやろ。」みたいな事を言われて(笑)。でも、フタを開けてみると売れるようになって。今でこそ、こういったメガネはたくさん出ていますけどね。

-- 東京に拠点を置こうとは思わないんですか?

誉)そうですね。鯖江にいると、何か思い立ったらすぐに製造現場に足を運べるのが強みだと思っています。やっぱり、こういう仕事をしていると「東京に出て来た方がいいよ」とおっしゃる方もいますけど、僕はどちらかというと、「売りたい」というベクトルよりも「作りたい」というベクトルの意識が強いですから。メガネは、現場あってのものなので、もし、仮に東京に出た際に、作れないとなった時の方が怖いんです。そういった危機感は常に持ってますね。

-- メガネ以外のものをデザインしたいとは思わないですか?

誉)一つ言い忘れたんですけど、今から数年前にSSID(鯖江市立インテリジェントデザイン講座)というデザイン講座に通い、そこで一年間勉強したんですね。それが、すっごい厳しくて、もうけちょんけちょんにされました。人格否定までされましたからね(笑)。そこで、メガネだけをデザインしていてはダメだと。ブランディングする上で、それに付随するもの全てをデザインしないと。ロゴやパッケージはもちろん、営業に行く時のファッションにまで気を使って、トータルにイメージを作って行く事が大切なんだと。だから、メガネ以外のものをデザインするというよりも、メガネとメガネの周辺にあるものをデザインすることに注力していきたいと思っています。

-- 話は変わりますが、誉さんのお父さん(社長)はどういった方ですか?

誉)パワフルですね。あの年になってまだ、車で鹿児島まで営業に行くような人ですから。でも、やっぱりオリジナルブランドが、きっちりブランドとして確立するように広げていったのは、親父ですから、すごいと思っていますね。競合他社がいる中で戦って来たんで、僕はそのレールに乗っかったという意識はあります。

-- お父さんの尊敬する部分は?

誉)全てですね。偉大だと思います。

-- お二人がぶつかることはあるんですか?

誉)そんなのしょっちゅうですよ(笑)。
お互い譲れない部分がありますからね。

-- では、今後やっていきたいと思う事は?

誉)さっき言った、メガネを含め、メガネの周辺のデザインを固めていくことですね。コンセプトの柱に沿ったものを作っていって、ブランディングしていこうと思ってます。

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