株式会社加藤工芸では、プラスチック枠のメガネの製造を行っています。そんな加藤工芸の生みの親であり会長の加藤仁郎氏は、この道60年のベテラン職人でもあります。メガネ業界に入ったきっかけや昔のメガネ業界についてなど、貴重なお話を伺うことができました。
明日に向かって今日を生きる
--こちらではどういったお仕事をされているんですか?
加藤仁郎氏
うちは、プラスチックシートフレームにこだわってプラ枠のメガネを製造しています。プラスチックシートフレームっていうのは、アセチロイドという素材で出来たプラスチック板をカットして加工するメガネです。
--貴社ではメガネ作りの全ての工程をされるのですか?
一部発注してパーツを作ってもらうこともありますが、メガネ作りのほぼ全ての工程をうちで作っています。
--メガネ作りで難しい所はどこでしょうか?
私は鼻パッドの取り付けを主に担当しているのですが、パッドを取り付ける位置の高さや傾きが左右ぴったりでないといけないですよね。オーダーする側も「○ミリ高く取り付けて。」という注文ではなくて「気持ち高めに。」というんです(笑)。そうなると感覚の勝負なので難しいですね。
--お仕事をされていて一番気を使うところはどこですか?
全部です。むしろ気を抜ける所なんてひとつもありませんね。検品に検品を重ねてもクレームの付くこともあります。
--貴社では自社ブランドのメガネは作られているんですか?
うちは基本的に商社さんから注文を受けてメガネを作っているので、自社ブランドのメガネはありません。ただ言うなれば、この「カトニ」という蝶番が、うちのブランドかもしれませんね。というのも、このメガネちょっと触ってみてください。
--テンプルの開閉がとてもスムーズですね!硬すぎず、ネジが緩んでいるわけでもないし…。
開閉のしやすさはこのテンプルとフロントを繋ぐ蝶番に関係があり、実は私が開発して特許を取ったんです。それをシャルマンさんに扱って頂いて、この「カトニ」蝶番を使ったメガネが出来たんです。それまでのメガネはとにかく開閉が硬かったからね。
--御社ではメガネ作りだけでなく、蝶番も開発されるんですか?
蝶番の開発はこれが初めてですよ。8年もかかりましたが、使う人が困っているのにそのままにしておくのはおかしいですからね。この「カトニ」のおかげでうちの経営も随分安定しました。
--他にも新しいアイデアはお持ちですか?
いくつかありますが、なかなか実現は難しいですね。でも、メガネについても職場の環境についても、どうしたらよくなるかということは常に考えています。社員にもどうしたら上手にできるか、早く作れるかということを常に意識させていますね。私の格言に「明日に向かって今日を生きる」という言葉があるんですが、常に先を見据えながら今出来ることをやりきることが何事も向上させるということに繋がると思います。
品質と信頼
-- 社長はこの道60年になるということですが。
中学を卒業してそのまま5年間、近くのメガネ工場で修行して、それから20歳のときに独立してこの加藤工芸を始めました。
-- 20歳で社長になられたんですね。とても若い独立だったのではないですか?
「やるしかない」という覚悟があったから、若すぎるなんてことは考えていなかったですね。
-- どうしてメガネ業界に入られたんでしょうか?
昭和20年に終戦を迎えて、一番上の兄は戦死してしまっていたので、次男の私がこれから兄弟たちをどうやって養っていこうかと考えて、この業界に入りました。
--その頃からプラスチックシートフレームを作られていたのですか?
当時はセルロイドのメガネが主流でしたが、セルロイドは可燃性が強いので鯖江でもよく火事が起こっていましたよ。火事といえばメガネ屋というくらいでしたからね。そういうこともあって、修行中の頃、親方(社長)からプラスチックシートのメガネが台頭してくるかもしれないという話は聞いていましたから、プラスチックシートフレームについて意識はしていました。
--独立したばかりの頃は大変なことも多かったのでは?
メガネを作りながら営業もしていたから忙しかったですね。営業も地方に出向いて着いた先で電話帳を調べては突撃でメガネを売りにいっていました。朝の4時まで仕事を続けて仮眠を取ってまた仕事を再開…なんてこともしばしばあって、それが一番辛かったです。それでも、取引先にサンプルを見せて注文が決まった時は本当に嬉しかったですね。それからだんだんと人を雇うようになり、会社も大きくなってきました。最初は兄弟たちに一所懸命に働いてもらってましたから。
--それは素晴らしいですね!
一時は、メガネ業界も中国製の安いメガネに押されていましたが、最近では海外から「日本のメガネが欲しい!」という声が強くあがってきています。それは、日本が長い間守ってきた品質の良さや安全性が信頼につながっているからだと思います。これは一朝一夕には出来ないことですからね。
--なるほど。
よく、「加藤工芸さんには営業部がないのに、どうしてそんなに仕事が入ってくるんですか?」と不思議がられることがあります。それはやはり品質の良さと信用を長年守ってきたおかげだと思います。それに今は息子と孫が会社を継いでくれて親子3代で仕事ができることも、安心につながっているのかもしれませんね。
--本日はありがとうございました!
加藤仁郎 Niro KATO
プラ枠職人
生年月日:1936年4月25日
社名:株式会社加藤工芸
従業員数:20人
創業:昭和32年
福井県鯖江市下河端町97-134
TEL 0778-52-3515
FAX 0778-52-0650