やはり技術の確かな職人さんの手は実に味がある。時代とともに変化し、多様化してきたメガネ。しかし職人たちはその変化をしっかり受けとめ、100年に亘り受け継がれたその確かな技術をもって、どんな変化にも対応してきた。今回はメガネの製造最終工程である「調子とり」の職人で、25年のキャリアをもつ浜本テクニカル株式会社 木下功さんにお話を伺った。
体操選手からメガネ職人へ
--出身が愛媛とお伺いしましたが、鯖江に来られたきっかけは何だったのですか?
中学から大学までずっと体操をしており、大学卒業後も社会人チームに所属して体操を続けるために、当時体操クラブを持っていた鯖江のメガネの会社に就職しました。鯖江に来てからは、毎年県代表として国体にも出場していました。
--当時は体操クラブがある会社は鯖江のメガネ会社だけだったんですか?
そうなんです。その頃は、メガネ業界も景気がよかったので、スポンサーとしてスポーツを支えていました。当時から鯖江は全国的にもめずしい体操専門の体育館があるほど、体操の盛んなまちでした。
--体操と会社の両立はどのような感じだったのですか?
朝から午後3時までは、普通に社員としてメガネの加工や仕上げをしていました。そして3時から体操の練習という毎日でした。
--仕事をしてから激しい体操の練習ですか。すごくアグレッシブですね!現在も何かスポーツはされているのですか?
もう体操はしていませんが、スポーツが好きなので、冬はスキー、夏は海によく出掛けます。そういう意味では鯖江は本当にいい所。海も山も車で数十分で行けますから。
--プライベートで体を動かすのは、仕事がものすごく集中力のいる細かい作業が多い反動でしょうか?
そうかもしれませんね。実は細かい作業は苦にならないんです。小さい時から好きでした。イスに座っての作業が多いので、その反動か、プライベートでは、家でじっとしていることが少ないです。バランスをとっているのかもしれません。(笑)
--普段のお仕事はどんなことをされているのですか?
今は最終工程である「調子とり」をしています。調子とりはメガネの製造の最後に全体のバランスを調整する仕事です。耳にあたる部分の「モダン」のカーブや「ノーズパッド」の位置が一般的な標準値になるよう調節し、フレームにねじれや歪みがないよう、左右のバランス、全体バランスを調整していきます。
--根気、集中力がいる仕事ですが、体操をされていたことが役立っていますか?
集中力のいる仕事なので、体操経験は生かされていると思います。あとは感覚の問題。自分で納得いくまでやる粘り強さも大切だと思います。
--納得いくラインはどのように設定されていますか?
調子とりは最後の調整を行い、フレームを完成させる仕事です。左右がきちんと対称になっているか、全体のバランスはどうかなど、長年培ったカンで微妙な調整をしながら、自分が満足する仕上がりにもっていきます。
--仕事をしている中で、どんなときにやりがいを感じますか?
やっぱり難しい仕事をやりきったときですね。審査が非常に厳しいお客様もあって、その先様の検品・検査が一発で合格できたときは嬉しいですね。
--一日にどれくらいのメガネの本数を仕上げていくのですか?
工程にもよりますが、仕上工程を全て一人でやると時間がかかります。今はそれぞれの担当で割り振っていますので、仕事がスムーズに流れます。一概に仕上がりの本数を言うのは難しいですね。
--この仕事をしていて良かった!と思うことは?
最近、娘がデジカメを落とし、傷ついてすき間ができてしまったんです。そこでネジをはずして分解し、へこみを直し元通りにすることができました。簡単な電気製品の修理はできるようになりました!実はメガネの工程と似ているんです。
人には負けたくない。
--今後の仕事をするうえでの目標は?
最高の仕上を目指すために、道具も自分でアレンジしてこだわる。
メガネのフレームは、年々進化し、今まで扱わなかった新素材があったり、デザインも複雑で、扱いが難しくなってきています。それをどう仕上げていくのか、常に格闘しなくてはいけません。私はメガネの加工から仕上げまで一通りの経験がありますので、調子とりを行う上ですべての工程を知っているということが役立ってます。こうした経験、技術、カンを活かすことによって、メガネがどんなに変化して取り扱いが難しくなっても、自分の納得いく仕事をし続けることを目標にしています。
--職人魂というようなご自身のプライドを一言でいうならば?
「他人には負けない」ということです。スポーツをしていたせいか、非常に負けず嫌いな性格です。いい仕事ができるように、道具を自分なりにアレンジしたり工夫を怠らないようにし、常にベストな環境で仕事ができるようにしています。
--では最後にこれからものづくりを志す若者にメッセージをお願いします。
とにかく集中して、根気強くやっていくことだと思います。
--ありがとうございます!!
昭和47年創業